2018年10月5日
久しぶりの兵庫県立美術館
新婚旅行で嫁さんとマドリードのプラド美術館に行った事を思い出して、ここに来てみました
あくまでも個人的な感覚です
プラド美術館展に展示されている絵画からは、感情的なエネルギーをあまり感じませんでした
僕は絵画に感情のエネルギーが残っているのを感じる事が多くて、それを感じるのが好きなのです
そういう意味で、何倍も心を動かされたのは、
美術の中の形 – 手で見る造形「触りがいのある犬 中ハシ克シゲ」
愛犬の像を目を閉じて触らせて頂いて、そこに愛情を感じました
共に暮らすワンちゃんとその飼い主である 中ハシさん の愛情、それによるワンちゃんの安心感を、僕は指先や掌から感じました
目で確認して作った造形を触った時に「これは違う!視覚的に良い感じの物は表現したい造形では無いんだ」と感じて、目を閉じてワンちゃんに触れた感覚だけで造られたそうです
なので、ディテールは粗いですが、本質は視覚で捉えられるようなもんじゃないという表現だと理解しました
本当に素晴らしい作品でした
先のプラド美術館展では、愛を感じる絵が一つあったので、これはルーベンスの作品かな?と思って表示を見てみたら、やはりそうでした
県政150周年記念 ひょうご近代150年展 で見た 東山魁夷 の絵や、ジョアン・ミロ の絵と彫像にも、ほんわりした愛情を感じました
そして、通勤シーンの立像群は、後ろ側から見た背中に異様なリアリティを感じました
やはり僕は視覚そのもので感じるより、エネルギーとしての感情を感じる物の方が好きです
開催費用的にプラド美術館展が高くなるのはもっともな事だけど、アートってそういう事じゃ無いように僕は感じました